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気持ちの良さ

「じっくり掃除」をするようにした。
だいたい土曜日の朝。

フローリングの床に、棕櫚のほうきをかけて、そのあと棕櫚のたわしでブラッシング、最後にウェットクロスで拭き上げする。洗面所、キッチン、リビング、玄関まわり。

ふだんは毎日夜に妻がクイックルワイパーで掃除をしているし、掃除機もかけているので、それなりにきれいなのだけど、棕櫚のほうきは、フローリングの目地に入り込んだ細かいホコリをかき出してくれる。

集まったホコリを見ると何ともいえない満足感を感じてしまう。
しかしここで終わりにしないで、たわしをかける。
四つん這いになって、たわしをかけると床が違ってみえてくる。壁の立ち上がりのすき間。床においてある家具や箱のすき間とか。

視点が床上170cmからぐっと40cmくらいまで下がるとカメラで撮影するのだって全然違う。同じように掃除する顔が下がれば見える世界が相当ちがうのだ。立っていては気づかないゴミやホコリ、髪の毛を四つん這いで見つけられる。

棕櫚のたわしは、持っていて気持ちがいい。持って気持ちの良い道具というのは「使う満足感」があって、ゴシゴシ床をこすってまわる。十分だなとほうきがけの後に思っていても、たわしがけをするとこれがまた思いの外、汚れというかホコリが集まる。

ふと立ち上がって床を眺めると、掃除の前と床の気持ち良さが違う。

物理的には大した違いではないのだろうけど、このひとつひとつは気づかない程度の些細なホコリの違いが全体の気持ちよさを違いを生む。

仕上げにウェットクロスで拭き上げる。ひとしきり拭きおわって裸足で床に立ったとき、足の裏から伝わる床の感触がとっても良い。

こういう何となくの気持ちの良さを、毎週土曜日に見つける。少し時間をかけて掃除すると、美味しいものを食べるとか、きれいなものを着るとか、面白い映画を観るとかではない、何か別の気持ちの良さがある。メガネのレンズ、車のフロントガラスとかも同じ。

気持ちいい床を裸足でたのしみながら、コーヒーを飲む。