遠忠食品PremiumTOKYO プロジェクトで行っているライブ配信。2023年新年のテーマは「東京のお米屋と佃煮屋」。ゲストに東京調布の米屋彦太郎・山田屋本店六代目秋沢毬衣さん、ナビゲーターは遠忠食品四代目宮島大地さん。ともに百年企業を継ぎはじめた若手です。お米も佃煮もそれぞれステレオタイプ的には市場規模が縮小傾向にあって、そんななかに事業承継は難しいと思われるのですが、お二人の話を通して希望の光を感じる機会となりました。もちろん、そういう展開を多いに期待してのセッティングだったのですが期待を上回る清々しい時間となりました。
一次産業といわず、どのジャンルでも事業承継は重い課題で、このコロナ渦に商売が継続できないことと加えて年齢も理由に事業終了を迎えたところは少なくありませんでした。戦後〜1964年の東京オリンピック頃に開業したり、継承してきた人たちの多くが65〜70歳という定年の年齢を迎え、経済・経営的事情と別に体力や加齢が理由になっていることもあるようです。
対談のなかで「子どもの頃に親の仕事をどう見ていたか」について、「自分が引き継ぐかどうかを別にして会社は続くものだと思っていた」と共通して感じていたのは印象的でした。宮島大地さんは父親(遠忠食品三代目 宮島一晃さん)が「お前(大地)が継がないなら会社は閉じようと思う」という独り言を聞いたことがきっかけで建築の道から父親の仕事をつぐ決意をしたそうです。
その話を聞いて秋沢さんが「お父様がそうとう計画を練って、ここぞ、というタイミングで独り言をおっしゃったんじゃないですか(笑)」とツッコミをいれ、会場にいた三代目が「いやいや本当に独り言だった(笑)」と回答して会場は沸いていました。しかし、秋沢さんがそう思うくらい親の仕事を引き継ぐことは身近だからこそ、親も子も双方に話しにくい課題に違いありません。
お二人の取り組んでいることで特徴的だなと感じたのは、日本中の米、あるいは佃煮や海苔をふだんから扱っているということ。それだけ食べたり、扱う経験の積み重ねのデータベースに厚みがあるということです。秋沢さんは全国からセレクトしたお米を少パッケージにして販売したり、あるいは炊いた状態で販売するなどチャンネルを増やす取り組みをしているそうですし、宮島大地さんはOEMとして海苔をあずかって佃煮加工したものを産地に送り返す仕事があるのだそうです。
これは一から経験を積み上げたらとんでもないことですが、代々継いできているからこそできること。こういう知的・経験という財産が今後どんどん育っていくのが楽しみです。
事業承継といえば、6月のライブ配信で登場した東松島の海苔漁師の相澤太さんは父親から「いま継がないと判断しないなら一生継がせない」と言われて海苔漁師になることを決意したそうですし、千葉富津の鈴藤丸の鈴木和正さんは料理人を目指していたなか父親が体調を崩したことがきっかけで「自分がやるしかない」「料理人として働くなかで周囲の人が自分の家の海苔をおいしいと食べてくれていた」からサッと海苔漁師になることを決意しています。
浅草合羽橋で日本で唯一の”有明海産の初摘み海苔専門店”を営む「ぬま田海苔」の沼田さんは、羽田からほど近い川崎大師で母親が営んでいた海苔店を閉業する話を聞いて「ちょっと待ってくれ、俺が継ぐから」とアパレルから転身したといいます。
100年に及ぶ長い事業にあっても「継ぐ」決断はほんの一瞬のできごとなのかもしれません。その一瞬はこうやって話を聞いてみるとピンチともチャンスともつかない不思議な瞬間なんだなという感じがしました。
さてお二人の話を通して先代から承継することに、全国に広がるネットワークはすごいものです。山田屋本店の秋沢さんはご自身でも年間通して産地めぐりをしているそうですが、子どものころから家族旅行と称して産地めぐりをしてきたそうで、成人してからは産地のみなさんとの「飲みニケーション」