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焼尻島の雲丹の初漁

焼尻島の雲丹初漁。北海道の東側、札幌と稚内のちょうど中間あたり、日本海にぽっかり浮かぶこの島の雲丹漁は風速1m程度の凪のときにしか行われない。この年は解禁日から約2週間にわたって風などの理由で漁が行われなかった。ちょうど訪問した日が初漁。朝5時、港に集まり各々準備をすすめる日焼けして深く皺の刻まれた熟年の漁師たちはどこか嬉しそう。住民200人に満たないこの島で、雲丹漁に参加する漁師は約20人ほど。主に60歳台から最高齢は84歳の大ベテランが集うなかで、今回、雲丹漁を間近で見せてくれたのは、焼尻島ゲストハウス「やすんでけ」の奥野真人さん。島の漁師としては最若手だ。

「カヌー」呼ばれる雲丹漁の船は一人乗り。小型のエンジンと漁のときに船の向きを微調整するモーターを積んでいるが、小型で薄い形状は櫂を使う「舟」と言って良いほど。全員がほぼ同じような形状だが、聞いてみると雲丹漁には海の環境を守り、雲丹を乱獲しないための細かい規定があるという。船の形状についてもそのひとつ。また漁を行う時間帯も定められていて、5時半の出港のタイミングで一斉に出港。6時に漁を開始して9時半には漁を終了しなければならない。雲丹を採る道具も同じような形状で揃えられているが、実際にはバラバラのパーツを買い揃えて漁師ごとに組み上げ、チューニングが施してあるのだそうだ。よく見ると長さも色もことなっている。

漁の海域も定められていて、海岸から50m以内なのだそうだ。ただし港から島の左右どちらに行っても自由なのだそうで、出港の5時半になると各漁師が狙う漁場に散り散りに船を走らせ、凪の海に幾筋にも船の走った弓状の線が描かれる。

島の周囲はほぼ岩礁だけで、この岩礁の隙間に雲丹が潜んでいる。島の中央に広がる森には池や小川があり真水を蓄える。凍てつく寒さと雪で腰を深く曲げて姿勢を低くした針葉樹と落葉樹の両方が生い茂る針広混交林は、豊かな落ち葉から腐葉土をつくり、土を踏むとやわらかでずっしりした質感だった。この土を通った水はおそらく海中プランクトンと海藻を育むフルボ酸鉄の豊富な水となって海に流れている。島の周囲にわかめがびっしりと群生しているのはそのためだろう(世界的に知られる牡蠣の養殖家 畠山重忠氏の「森は海の恋人」運動がよく知られてる例だろう)。まわりくどくなったがこの豊富な海藻こそ雲丹の食料で温床。焼尻島の小さくてもぎゅっと詰まった豊かな生態系こそがこの雲丹を育んでいる。

雲丹の多くいる場所を見つけるのは簡単ではない。前日までの潮の流れ、岩礁の形状など、漁師の長年の経験がものを言う。若手の漁師はベテランの船の近くに寄せるなどして経験を補う。こうして各自の漁場について6時に漁が開始する。漁師たちは箱メガネで岩礁に目を凝らし漁場を移しながら雲丹漁に腕を振るう。

実はこの初漁の前日にカヤック・ツーリングとキャンプをするグループが、焼尻島で雲丹漁をしようと計画しているという情報が入ったという。当人たちは理解しているかは不明だが、明らかに密漁にあたる。島の海の環境と海産物を守るために細かいルールをつくり守ってきている漁師をはじめ島の住民にとっては見過ごせない問題だ。そんなわけで前日から漁師とパトカーによる沿岸のパトロールが行われていたのだそうだ。(別の映像で港をパトロールするパトカーが映っているので見てほしい)

漁は船の上によぼ横這いになり箱メガネで水中を眺めて、岩礁の底に潜んでいる雲丹を長い竿につけたチューリップ状の道具で捕まえ水中に沈めたタモに集める。笹舟にも近い薄い船は、船底のキールと呼ばれるいわば船の背びれにあたる部分がほとんどない。それは岩礁にひそむ雲丹を捕まえるために船の向きを自由に変えられるメリットがある一方で、風でいとも簡単に船は流され、回転してしまう。

そればかりか転覆の危険性とも隣り合わせなのだ。

焼尻島ゲストハウス「やすんでけ」の女将 奥野奏枝さんは、雲丹漁の様子を港の防波堤や海岸の高台からずっと見守っていた。「一見してはわからないんですが、漁は本当に危険と隣合わせなんです。いつ何があるかわからない。そういうリスクを背負って漁をしているなんて、ほとんどの人は知らないと思うし、それでいいと思うんですけど、雲丹が高い/安い、うまい/不味いではない別の側面があることをどこかで知ってほしいなと思う」と話す。実は同じ日に、北海道の北端にある利尻島で行われていた雲丹漁では、風で煽られた船が次々と四隻転覆しひとりの漁師の命を奪っていた。海岸からわずか20m。その時の風速は1.7mだった。

雲丹の初漁は豊漁だったそうだ。箱にびっしりと雲丹を積んだ軽トラックを運転する漁師の表情はほがらかだ。わたし自身も採れたての雲丹を海水にもつけずにそのまま食べた。雲丹のヒダのひとつひとつにハリがあって、舌と上顎で押しつぶすと身質はきわめて緻密で、口のなかにおだやかな潮が広がり、甘さがうすく口のなかに残った。

採れたての雲丹はもちろん島内や対岸の羽幌で食べることもできるが、その大半は東京などの大消費地に出荷される。そしてセリにかけられて飲食店に並ぶのは早くても1ヶ月半ほど先なのだという。なんとももったいないように思えるが、大消費地で売れるからこそ、雲丹漁は重要な家計の支え、島の経済の柱なのだ。

「日本人は魚介類を食べなくなった」という声を聞くことがあるが、令和元年版『水産白書』によれば1955年ごろから2000年ごろまでは一人あたりの消費量は伸び続けていた。2000年ごろから今日までは低下傾向にあるが、案外最近のことだ。この魚介類消費を支えてきたシーンのひとつに回転寿司などの存在がある。いわゆる焼き魚・煮魚などを家庭で調理し食べる機会が減少する一方で、カジュアルに全世代が魚介類を口する場として見逃せない。小さい頃から軍艦巻の雲丹を食べる経験があるからこそ雲丹のおいしさを求める声が生まれる。一方でふだん口にする機会を失われた魚介類は、もはや漁をしても売れなくなる。

量によって質が担保されている側面は否めない。

2050年に向けて人口減少の続く日本と、このフードシステムのなかで、小さな島の小さな漁がこのおいしさをどう続けていけるのか。